霊泉幼稚園

【3つの方針】

1.自由にのびのびと

~楽しくいきいきと熱中して遊びこむ~

幼児期の子どもは遊びの中から学んでいく。子どもたちの自由で生き生きとした遊びの中で、様々なものを発見し、感動し、考え、表現し、共有する色々な体験から豊かな学びができるように努める。

自然や動植物とのふれあい、いろいろな人たちとの関わりを大切にし、大人も子どもも成長し合っていけるよう努力する。

 

2.「思いやりの心(根っこ)」を育てる

~ありがとう(感謝する心)・ごめんね(痛みに気づく心)・ よかったね(喜びに共感する心)を言えるように~

ありがとう(感謝する心)、ごめんね(痛みに気付く心)、よかったね(喜びに共感する心)を言えるよう、他者を思いやる心を育んでいく。礼拝を通して神さまの愛をいっぱい受け止め、子どもたち自身も愛を分かち合っていくことを大切にする。

 

3.共に育ちあう

~子ども同士、大人同士、子どもと大人同士が、神さまの愛の中で共に育つ~

小規模(定員35名)、少人数制を大切にする。異年齢交流を通して、子ども同士のきずなを深める。また、子ども、親、保育教諭はじめとする全職員が共に育ち合う関係を大切にする。

 

子どもたちに「やらせる」教育・保育ではなく、

子どもたちが「やってみたい」、「おもしろそう」と思えるような教育・保育を。

 

キリスト教保育(神さまの愛が創り出す「陽だまり」)

霊泉幼稚園では「キリスト教保育」を実践しています。
キリスト教保育の現場では、「礼拝の時」(賛美・祈り・みことばを聞く時)、今日の日に生かされて十分に楽しく「遊ぶ時」、成長に合わせて「生活する時」を、大事にします。この3つが実現できた時、霊泉幼稚園が『陽だまり』のような場所になると信じています。

同じキリスト教保育を実践されている大漉知子先生(東洋英和女学院大学付属かえで幼稚園)が次のように記されています。

私自身、4歳の時に家の近所の教会付属幼稚園に入園しました。50年以上も前のことです。よく泣いていた私だったはずなのに、記憶の中に残るのはどれも陽だまりの光景です。それと共に、担任の先生の「イエスさまは、いつも知子ちゃんと一緒にいてくださいます」という声が思い出されます。

話は変わり今から数年前、ある年の卒業生の同窓会で、すてきな大人に成長した一人から、「幼稚園は陽だまりの時でした。私を私として大切にされたからだと思います。」と告げられました。嬉しい言葉でした

『キリスト教保育2017年4月号』22ページ

神さまの愛の中で、子どもたち一人ひとりの人生にとって『陽だまり』のような幼稚園となることを願っています。

この園は遊んでばっかり?(遊びこそ豊かな学び)

「遊んてばっかりでいいの?」と言われそうですが、私たちは、幼児期には「遊びこそが本当に大切な活動であり、学びの場」だと考えています。

幼児期の子どもを育てるには「気付いたら、総合的にいろんな力が身についていた。」というのが理想だと思います。この時期、偏った知識を教え込むことは、心を育てる上では返ってマイナスになってしまうことも多々あるからです。

例えば、子どもは早くからでも教えれば字を覚えます。4 歳ぐらいからでも、「あいうえお」が読めるようになりますし、書くことができるようになる子もいます。しかし、絵本を見て、「む、か、し、む、か、し、… 」と読めたとしても、内容が理解できていなければ無意味ですし、お話の世界を想像して、自分の頭の中で登場人物を動かしながら、頭の中でお話を進めていけるぐらいの力が育っていなければ創造力が育っているとはいえません。字が読めるからといって、見かけは本を読めているようであっても、本当に本を読んでいるとは言えないのです。文字だけ覚えても「心」は豊かになりません。

それよりも、大好きな大人に絵本をたくさん読んでもらって、お話の世界をたっぷり味わい、楽しんだ子どもは間違いなく絵本が大好きになり、自然に字も覚えていきます。創造力が育ち、心が豊かになる上に、おまけとして字も覚えてしまう… となるわけです。

カルタや言葉遊びなどをしたり、年長さんともなるとぬりえに簡単なメッセージを添えてお友だちや先生にプレゼントしたりして自然と文字への親しみも湧き、ある程度使いこなせるようになっていきます。一方的に教えるというより、子どもたちが自ら意欲的に学んでいけるように環境を整えたり、遊びを仕掛けていきたいと願っています。

同様に、泥んこ遊びをしながら、水と砂の混ぜ具合による固さの違いや、山を作るときの固め方など、さまざまな「加減」を、遊びながら自然と身に付けていったり、積み木や泥だんご作りなど、何時間も取り組んだりするなかで集中力を養い、壊れてもあきらめずに繰り返し挑戦するカを身に付けていきます。また、鬼ごっこやドッジボールなどを通して、ルールを守らなくては遊びが面白くなくなることとか、友だちと協力する、作戦を立てる、助け合うといった力なども育っていきます。

このように、いろんな遊びを思う存分楽しんでいると、卒園する頃には「いつのまにか、いろんな力を身に付けていた」となるのです。しかも、たくさん遊べる子どもは、好奇心が旺盛で、何事に対しても意欲的です。学校にあがって、いろんなことを学んでいく上で、大切なのはこうした好奇心や意欲、ここぞというときの集中力です。これを幼稚園時代に育んでおきたいのです。まずは基礎、基盤づくりが大切なのです。

幼児教育・保育の目玉として、いろんなことを教えてくれる園はいっばいありますが、「“今”子どもたちにとって、それらが本当に必要なものなのでしょうか?」私たちは、この乳幼児期には「豊かな心(の根っこ) 」を育みたいと思っています。目には見えないものなので、心配になることがあるかもしれませんが、子どもたちと過ごすなかで、実際に感じていって頂けたらと思います。

「あそび」と「娯楽」の違い

ボーネルンドという玩具会社があります。ホームページに、「あそぶことは生きること」と題したエッセーが掲載されています。

「あそび」というと、「勤勉」「努力」の対義語として、「時間つぶし」といったニュアンスを感じる人もいるかもしれません。しかしそれはむしろ「娯楽」のことを指しています。

本来の「あそび」とは、子ども自身の‘‘やってみたい’’という動機から自発的に始まるリアルな体験であり、その結果として人を育んでいく過程です。

「あそび(play)」と「娯楽(entertainment) 」の違いを、次のようにまとめています。

あそび 娯楽
プレイ( play) エンターテインメント(entertainment)
日常的 非日常的
能動的 受動的
蓄積 消費・消耗
継続 一過性
全生活 余暇・暇つぶし

例えば、「休日にハウステンボスヘ行く」はどうでしょうか? 「非日常的」であって、経済的には「消費」です。また、沢山のサービスを、お金を払って受けることが出来る…、つまり「受動的」です。これは「娯楽」になります。

では、「あそび」とは何でしょうか?

先週、土曜預かりのTくんと二人で泥だんごを作って、「光る泥だんご」にしていく約束をしました。一日では出来ないため(継続)、二人で相談してこっそりある所に隠しました(能動的)。今週から、だんご作りを少しずつ(蓄積)再開する約束です。園生活の「日常」の一コマで、まさに「あそび」です。

家族での「娯楽」も大切ですが、園生活においては、何よりもこの「あそび」を基本に据えていきたいと願っています。

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